こんにちは。今回の記事は、前々回のブログ記事「美術館企画展レポートとウィリアム・モリスの魅力」の続編です。
前々回の記事に影響を受けて、私(別のブログ担当者です)も美術館に足を運びましたので、そこで考えたことを記載していきます。


※前回のブログをまだ読んでいない方はこちらから

 

この記事では、ウィリアム・モリスが提唱した「アーツ・アンド・クラフト運動」と、大正から昭和初期に活躍した思想家・柳宗悦によって提唱された「民芸運動」の比較考察を行なっていきます。
二つの理論の違いを、わかりやすい言葉で明らかにしていきたいと思います。

 

「アーツ・アンド・クラフツ運動」とは何か

アーツ・アンド・クラフツ運動の発端となったウィリアム・モリス

アーツ・アンド・クラフツ運動とは、簡単にまとめるならば、
ウィリアムモリスのよって先導され、イギリスの産業革命による工業化によって失われた手工芸の復興を目指す民芸運動といえるでしょう。


もう少し噛み砕くと、職人による製作活動と労働の在り方についての問題提唱と理想の提示、ということが言えます。

 

ではここで、モリスの著書『民衆の芸術』の一文をご紹介します。

私の理解する真の芸術とは、人間が労働に対する喜びを表現することである。その幸福を表現しなくては、人間は労働において幸福であるとは言えないと思う。特に自分の得意とする仕事をしているときには、この感が甚だしい。このことは自然の最も親切な贈物である。


これは、あくまでこの記事の筆者である私の解釈ですが、
モリスは「労働と芸術は決して切り離されることのない隣り合ったものだ」と考えていたのでしょう。
労働があるのならばそこには自然と芸術が生まれるべきであり、それは自然からの親切な贈物だと表現しています。

「アーツ・アンド・クラフツ運動」は、
便利が強調された産業革命において、労働から生まれるべき芸術が生まれず、生活の豊かさが廃れていってしまうことを危惧して始まった運動であったとも言えます。

 

「民芸運動」とは何か

それでは「民芸運動」とは何か見ていきましょう。

「民芸運動」とは、思想家の柳 宗悦 (やなぎ むねよし、名前はしばしば「そうえつ」とも読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記される) によって先導され、日本で起こった「日常の暮らしに宿る美しさを追究」する運動です。

民芸運動の発端となった柳 宗悦

彼は、新しい機械や技術で作られた「作品」ではなく、名もなき職人の「日用品」として作った作品に美があると訴え、運動を起こしました。

実はこの運動は、弊社、伊藤建築設計事務所の所在地である松本ともゆかりが深いと言えます。
松本では民芸運動を受けて、例えば松本民芸家具 (http://matsumin.com/)が設立されるなどして、地元の木材を使った美しい家具が作られてきました。

宗悦は「用美相即」(ようびそうそく)あるいは、「用を離れて美はない」という言葉を残しています。「用の美」ともいうでしょうか、建築では「強・用・美」などいわれますが、宗悦は特に「用・美」に」関心があったというわけです。

 

考察1:「アーツ・アンド・クラフツ運動と民芸運動」の違いは?

あくまで筆者である私の持論ですが、
「アーツ・アンド・クラフツ運動」と「民芸運動」の違いは、モリスと宗悦の美意識の違いから見ることができると思います。


モリス
→職人の仕事から生まれる自由にデザインされたものが美しい。
宗悦 →名もない職人が生活の利便性を求め作為性なくデザインされたものが美しい。


以上のようにまとめられるでしょう。

面白いですよね。
宗悦は利便性から美が生まれると考えており、職人が自由なアイデアを凝らして作ることに反対したということになります。

 

考察2:建築にあてはめて考える

建築を作っている私たちの立場からすると、宗悦の考え方は芸術表現としてはとても難しいものです。
特に「モノづくりに恣意性や作為性があってはならない」点は至難の業だと思います。

しかしながら「用の美」は一つの理想形でもあるのでしょう。
建物の使いやすさ・機械的かつ構造的な合理性を追求した結果見えてくる美しさは、時代の流行や人の好き嫌いなどに左右されず、普遍的な価値をもたらすことができるのかもしれません。

 

モノづくりにおける「美」とは何か…皆さんはどう思われますか。